仏どじょう (大洞谷)

下有知風土記17

下有知に伝わる昔話に 『 仏どじょう 』 があります

 

下有知の中組部落の東、竜泰寺の裏山の北には、入江のように山の中に入りこんだ田んぼが沢山あります。

 

この田んぼには、 『 いちべい洞 』 とか 『 さいべえ洞 』 とか人の名前がついています。

これは、この荒地を一生懸命たがやして、田んぼにした人達の名前をとってつけられたものです。

『 じんねさ洞 』 の向いに 『 笠ぶた 』 と呼ばれる所があります。

 

Google-下有知-1200.jpgのコ 大谷洞 仏どじょう地図

 

ここはむかし、底なし沼になっていました。

ある日、近くで仕事をしていたお百姓さんが、

「 やれやれ、疲れた、少し休もうか 」 と、沼のそばまでやってきて、涼しい木陰で休もうとしたとき、あやまって石につまずき沼に落ちてしまいました。

 

その沼はどろ沼だったので、出ようとしてもズブズブ、ズブズブと、沼の中にしずんでいきます。

お百姓さんは、 「 助けてくれ、助けてくれ 」 と、叫ぶのですが、体はどんどん、どんどん沈ずんで、とうとうかぶっていた笠だけが、ふたのように残っただけでした。

 

仏どじょう-01-1200 IMG_2864

 

その事があってから、村の人達は、ここを 『 笠ぶた 』 と呼んで恐れるようになりました。

けれども、田んぼはこの沼の近くにあり、毎日通らなければなりません。

「 このあいだは、吾作どんが、落ちたそうな 」

「 きのうは、権六どんが落ちたそうな 」 と、犠牲者はどんどん増えていきます。

そこで、村の人達は、 「 どうしたらいいんだろう 」 と、頭を悩ませました。

「 さくを作ったら、どうだろう 」

「 うめてしまう事はできないかなぁ 」 などと、いろいろな相談をしました。

そして、近くにあった大岩で 『 笠ぶた 』 の穴をふさぐことに決まりました。

 

村の人達は、総出で大岩にひもをかけ、

「 そうれ、いくぞ 」  「よいしょ、こらしょ 」 と、声をあわせて引っ張ります。

沼まであと少しという所まで運んで来ました。

けれども、そこからは押しても引いても動きません。

「 よいしょ、こらしょ 」  「よいしょ、こらしょ 」 村の人達も必死です。

けれども、岩はびくとも動きません。

とうとう力つきて、村人達はすわりこんでしまいました。

 

仏どじょう-02-1200 IMG_2860

 

これを近くで見ていた 『 堪念 (たんねん) 』 という和尚さんが、

「 どれどれ、どうした事かの 」 と大岩を見にきました。

その大岩のてっぺんをのぞいてみると、くぼみの水たまりにどじょうが数匹泳いでいるのを見つけました。

和尚さんは、 「 これこれ、村の衆や。どじょうは仏さまのお使いにちがいない。仏さまも手伝って下さるのだから、きっとこの岩は動く、みなの衆も、もう少しだからがんばってくれや 」 と、励まされました。

村の人達も、

「 そうか、どじょうがいるか 」

「 仏さまも手伝って下さるで、きっと動くぞ 」 と、再び元気をとりもどして、

「 そうれ、よいしょ、こらしょ 」 と、今まで以上の力を出しました。

とうとうこの大岩を、 『 笠ぶた 』 まで運んでふさぐことができました。

 

それからは、村の人達は、安心して田んぼで仕事をすることができるようになりました。

そして、大岩のてっぺんにいたどじょうを、

「 仏さまのお使いだから、大切にせにゃならんのう 」 と、話しあって、このどじょうを、大洞谷のきれいな水に放してやりました。

 

農薬を大量に使用する以前は、この付近の谷川には 『 仏どじょう 』 の子孫が繁殖して、たくさんのどじょうが住んでいました。

 

※ 大洞谷は、現在の清掃センター付近のことです。

 

 

「下有知の民話」池村兼武氏 著 より要約

 

2016年1月30日

下有知ふれあいのまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

 

 

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