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下有知小学校に資源回収箱を設置しました

下有知小学校に資源回収箱を設置しました

 

下有知小学校の大銀杏のとなりに資源回収用の小屋があります。

新聞・雑誌・布・アルミ缶の回収による売り上げは、下有知小学校の大切な財源となります。

 

ゴミ箱 

いつでも鍵は開けてありますので、下有知小学校にお越しの時には少しでも持ってきてください。


小・中学校の校長先生からのコメント

  

下有知小・中学校では、PTA 資源回収を年3回ずつ、合計で6回実施しています。 関市全体の収入が減り、市から学校に配当される予算も減っています。
そんな中で、PTA 資源回収で得る収入は、学校にとって非常に大きな財源となっています。
ちなみに下有知小学校の場合、年3回の資源回収で得た収入は、H27 年度が約37万円、H28 年度が約32万円でした。H29 年度は、アルミ缶等の補助が廃止され、25万円程度の収入を見込んでいます。大幅な減収となりますが、それでも学校にとっては大きな財源です。
この貴重な収入で、一昨年はテント6張や充電式のマイクとアンプのセットを購入し、運動会や命を守る訓練等で活用しています。
また、昨年は、体育館で使用できる光源の強いプロジェクターを購入し、PTA総会やひびきあい集会等で活用しています。プールサイドに敷き詰めてある人工芝も、このお金で購入しました。
今後も、子どもたちの教育や安全のために、市からの配当予算ではなかなか購入することのできない物品を購入していきたいと考えています。
そのためには、下有知地区の皆様のご理解とご協力が不可欠です。近年は至る所にリサイクルの回収ボックスが設置され、買い物のついでにそこへ持っていくという家庭が増えています。
しかし、学校にとっては無くてはならない資源回収の収入です。何とか年6回の小中学校の資源回収へのご協力をお願いします。
なお、「新聞や雑誌、段ボール等を保管しておくのは面倒だ」という場合は、その都度、小学校及び中学校に持参していただければ結構です。
今年度大幅な減収が見込まれる資源回収ですが、地域の皆様のご協力により、例年並みの収入を確保できることを願っています。
下有知小学校長 橋詰勝司 下有知中学校長 亀山 章

 

山王山ハイキングコース完成記念登山会

山王山ハイキングコース完成記念登山
 
  • ◎ 山王山登山道の完成にともない開催した記念登山会は、合計参加者が272名と当初の思いから想像も出来ないような皆さんが参加して頂きました事は主催者にとっても驚きでした!
  • ◎ 園児からお年寄りまでが山王山に親しみ、楽しみながら健康づくりをし、山の上で美しい景色を見ながら食事をすると、そのおいしさが倍増することを知っていただく事が企画した要因でした。
  • ◎ 44名の中学生ボランティアの皆さんは登山者に笑顔で気持ち良く応対してくれて、参加者の皆さんから感謝されました。
  • ◎ 山を終えた皆さんは “来年もまた登山会を企画してほしい・・・” と喜んでいただきました。
  • ◎ 山王山は季節によって変化があり、春にはサツキとツツジのお花が楽しめられ、冬には御嶽山・恵那山・伊吹山・揖斐の山々・能郷白山の真っ白に雪景色した雪山が見られます。
  • ブログで詳しく紹介しています。・・・・>>
 

 



      山王山登山道完成記念登山会
      平成29年11月3日

      ビデオ撮影・編集者 下有知中組 横山 武 


      下有知区民のかたから投稿していただきました。

しもうち区域地図-自治会名表示図

新しく下有知地区に転入された住民の人たちには区会の境界がわからないと不便なことも多いとおもいます。
今般下有知区会と協力して

しもうち区域地図-自治会名表示図

を作成しました。詳しくはブログでごらんください。

 

下有知風土記

下有知 藤塚 江戸時代に富士山信仰が爆発的に広がりましたが、旅が困難な時代のために富士講を作り代表者が富士参拝をして土を持ち帰り身近な場所に模倣富士山を築造して参拝出来るように築いたのが富士塚でした。下有知富士塚の場合は>>

下有知 曾代用水  尾張藩の浪人喜田吉右衛門と弟の林幽閑は、地元の豪農の柴山伊兵衛と相談し、長良川上流の曽代地区から水を引く用水を計画しました。詳しくは>> 2015/12/17 追補しました。





                                          

 下有知向山神社

昭和十三年九月三十日に、元の村社である日吉神社 ・ 元の村社である星宮神社 ・ 元の村社である土地神社 ・ 以前に合祀した斎宮神社 ・ 元の村社である大宮神社を合祀したのが銀幣社(ぎんぺいしゃ)向山神社です。  詳しく見る》

 斎宮社

 下有知で古き社の一つで有る斎宮神社は  当時は無格神ながらも立派な社で向山の麓に祭祀されていました  明治時代の終年に向山神社に合祀されました  詳しく見る》





 赤谷池と烏帽子岩

 赤谷池の周囲約1キロにわたり、財団法人オイスカから提供されたサクラやサツキなどの苗木4種類の合計200本が地元住民や小中学校の児童生徒などおよそ150人によって植樹され、現在ではよく整備された美しい所になりました。  詳しく見る》


 神光寺ミステリーゾーン

神光寺から奥に入った所にこんな不思議なところがありました  詳しく見る》




 八幡神社 気楽さま

 気楽さまから頂いた田を気楽田といって、この田から取れる穀物を笑翁気楽地蔵様 (しょうおうきらくじぞうさま) にお供えして、お祭りをするようになりました。  その理由というのは・・・・こちらへ》


 下有知 上切 咳止め地蔵

ある人が、風邪で体の具合が悪いのを我慢して、田んぼへ水を入れるためにここへ来ました。  上切に伝わる民話・・・こちらへ》




 唐栗神社(唐栗山)ずっとん和尚

 その山の東側に黄檗宗(おうばくしゅう)の松洞院(しょうどういん)というお寺がありました。 ある日のこと、和尚さんが裏山に登ってみると狸が一匹じっと和尚さんを眺めています。。  その後どうなったかは・・・・つづき》


 唐栗山 狼の聞き分け

唐栗山のふもとに末次郎というお百姓が住んでいました。 秋の取り入れも終わり 「寒い冬が来てもええな。来年までは・・・」 と言いながら、ふと薪小屋を見ると薪が少ししかありません。  マスコットキャラクター「からちゃん」の言われとは・・・こちらへ》




 神光寺 天邪鬼

 神光寺の屋根は、今でも天邪鬼が支えているのです。  その言われは・・・・こちらへ》


  西仙坊山 

サンショボ山 というところに、 『 太郎左 』 という雄の白ギツネが住んどったそうや。 太郎左はまだ一人もんで若いキツネやったんやと。 それから昔あった関所の南側の山で一ツ山には、『 おたけ 』 という雌の白キツネが住んどったそうや。 おたけも一人もんで、うつくしいキツネやったそうや。  民話 太郎左狐・たろうざきつね・・・こちらへ》



  竜泰寺 足跡てんじょう

 「 人間の力じゃ動かんな。どうしたらいいんじゃ 」 と、みんなが困りはててワイワイ、ガヤガヤ言っていると、監寺さん(かんずさん:留守番役のお坊さん)の道了様が 「 どれどれ、ひとつ、わしがやってみるかな 」と、言いながら岩に手をかけました。 「 ウーム! 」顔を真っ赤にして力みました。 すると岩が、ぐぐっと、動いたのです。 竜泰寺本堂の天井の言われ・・・・こちらへ》


  竜泰寺 竜ヶ池

竜は今でも、あの頃のことを思い出すと、自分は本当に強かったんだと思い、 「 なつかしいなあ! あれはいったいどれくらい前の事だったんだろう? 遠い、遠い、昔になってしまった 」 と、寂しそうにつぶやいていました。  下有知の民話「竜ヶ池」・・・こちらへ》



  竜泰寺(おぶと池) 新助の自慢

 おぶと池のほとりに、新助という猟師が住んでおりました。 ある冬の朝、新助が早く起きて池を見ると沢山の鴨が泳いでいました。 さっそく鉄砲を持ち出して、ズドーン!とぶっぱなしました。 すると岩が、ぐぐっと、動いたのです。 新助の自慢 つづきは・・・・こちらへ》


  南宮神社 東志摩

昔、一人の六部 が、この志摩部落を通りかかりました。 しばらく歩いていると辻に出ました。 「 どっちに行こうかな? よし、右へ曲がってみるか 」と、言ってどんどん進んで行くと、また別の辻に来ました。  下有知の民話『 志摩の迷い道 』 ・・・こちらへ》



  竜泰寺(じんねさ洞)  仏どじょう

 竜泰寺の裏山の北には、入江のように山の中に入りこんだ田んぼが沢山あります。 この田んぼには、 『 いちべい洞 』 とか 『 さいべえ洞 』 とか人の名前がついています。 これは、この荒地を一生懸命たがやして、田んぼにした人達の名前をとってつけられたものです。 『 じんねさ洞 』 の向いに 『 笠ぶた 』 と呼ばれる所があります。 仏どじょう つづきは・・・・こちらへ》


  竜泰寺 惟然坊

この話は、松尾芭蕉の最後の門下となり、自分でも数多くのすぐれた句を作った人、広瀬惟然 (ひろせ いねん) のお話です。  下有知の民話『 惟然坊 』 ・・・こちらへ》



  砂行(すぎょう)1号古墳

関テクノハイランド開発に伴う砂行遺跡に発掘調査(1997年2月~1998年3月)により、弥生時代末から古墳時代の竪穴式住居跡・大溝と横穴式石室がある古墳・奈良時代の火葬墓などが発見されました。 くわしくは・・・・こちらへ》


  白山神社と神光寺

応仁の乱にて兵火に見われ焼け落ち、元禄五年再興されるも戦火により焼亡する運命を歩いてきている。 くわしくは・・・・こちらへ》



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