下有知関の上地区の安全標語看板の点検

 

下有知保育園・下有知小学校・下有知中学校のPTA・下有知青少年健全育成協議会・下有知区会・下有知自治会・・・いつの頃か判りませんが、これらの団体が合同で下有知の各所に設置した安全標語の看板が不安定な状態になっていると、住民の方からご指摘が有りました。

 

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1月30日(土)に下有知区会の役員で、関の上地区にある安全標語の看板が不安定な状態になっているのを、安全な状態に付け替えました。

 

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三輪副区長さんは電気関係のプロで助かります

 

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タイヤホイールを使った台は不安定で危険なので取り外し、ブロックに固定しました

 

下有知ふれあいまちづくり協議会は、下有知の各所に有って不安定な状態になっている安全標語の看板の調査をして、今後は安全な状態に改善します。

 

 

2016年1月30日

下有知ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

 

 

仏どじょう (大洞谷)

下有知風土記17

下有知に伝わる昔話に 『 仏どじょう 』 があります

 

下有知の中組部落の東、竜泰寺の裏山の北には、入江のように山の中に入りこんだ田んぼが沢山あります。

 

この田んぼには、 『 いちべい洞 』 とか 『 さいべえ洞 』 とか人の名前がついています。

これは、この荒地を一生懸命たがやして、田んぼにした人達の名前をとってつけられたものです。

『 じんねさ洞 』 の向いに 『 笠ぶた 』 と呼ばれる所があります。

 

Google-下有知-1200.jpgのコ 大谷洞 仏どじょう地図

 

ここはむかし、底なし沼になっていました。

ある日、近くで仕事をしていたお百姓さんが、

「 やれやれ、疲れた、少し休もうか 」 と、沼のそばまでやってきて、涼しい木陰で休もうとしたとき、あやまって石につまずき沼に落ちてしまいました。

 

その沼はどろ沼だったので、出ようとしてもズブズブ、ズブズブと、沼の中にしずんでいきます。

お百姓さんは、 「 助けてくれ、助けてくれ 」 と、叫ぶのですが、体はどんどん、どんどん沈ずんで、とうとうかぶっていた笠だけが、ふたのように残っただけでした。

 

仏どじょう-01-1200 IMG_2864

 

その事があってから、村の人達は、ここを 『 笠ぶた 』 と呼んで恐れるようになりました。

けれども、田んぼはこの沼の近くにあり、毎日通らなければなりません。

「 このあいだは、吾作どんが、落ちたそうな 」

「 きのうは、権六どんが落ちたそうな 」 と、犠牲者はどんどん増えていきます。

そこで、村の人達は、 「 どうしたらいいんだろう 」 と、頭を悩ませました。

「 さくを作ったら、どうだろう 」

「 うめてしまう事はできないかなぁ 」 などと、いろいろな相談をしました。

そして、近くにあった大岩で 『 笠ぶた 』 の穴をふさぐことに決まりました。

 

村の人達は、総出で大岩にひもをかけ、

「 そうれ、いくぞ 」  「よいしょ、こらしょ 」 と、声をあわせて引っ張ります。

沼まであと少しという所まで運んで来ました。

けれども、そこからは押しても引いても動きません。

「 よいしょ、こらしょ 」  「よいしょ、こらしょ 」 村の人達も必死です。

けれども、岩はびくとも動きません。

とうとう力つきて、村人達はすわりこんでしまいました。

 

仏どじょう-02-1200 IMG_2860

 

これを近くで見ていた 『 堪念 (たんねん) 』 という和尚さんが、

「 どれどれ、どうした事かの 」 と大岩を見にきました。

その大岩のてっぺんをのぞいてみると、くぼみの水たまりにどじょうが数匹泳いでいるのを見つけました。

和尚さんは、 「 これこれ、村の衆や。どじょうは仏さまのお使いにちがいない。仏さまも手伝って下さるのだから、きっとこの岩は動く、みなの衆も、もう少しだからがんばってくれや 」 と、励まされました。

村の人達も、

「 そうか、どじょうがいるか 」

「 仏さまも手伝って下さるで、きっと動くぞ 」 と、再び元気をとりもどして、

「 そうれ、よいしょ、こらしょ 」 と、今まで以上の力を出しました。

とうとうこの大岩を、 『 笠ぶた 』 まで運んでふさぐことができました。

 

それからは、村の人達は、安心して田んぼで仕事をすることができるようになりました。

そして、大岩のてっぺんにいたどじょうを、

「 仏さまのお使いだから、大切にせにゃならんのう 」 と、話しあって、このどじょうを、大洞谷のきれいな水に放してやりました。

 

農薬を大量に使用する以前は、この付近の谷川には 『 仏どじょう 』 の子孫が繁殖して、たくさんのどじょうが住んでいました。

 

※ 大洞谷は、現在の清掃センター付近のことです。

 

 

「下有知の民話」池村兼武氏 著 より要約

 

2016年1月30日

下有知ふれあいのまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

 

 

志摩の迷い道 ( 東志摩  南宮神社 )

下有知風土記16

下有知 ( しもうち ) に伝わる昔話に 『 志摩の迷い道 』 があります

 

関市と美濃市の境に 『 東志摩 』 という部落があります。

その中央には南宮神社があり、部落の外へ出る道は八本ぐらいあります。

しかし、どの道もぐにゃぐにゃと曲がっていて、おまけに、 『 ト 』 の字の形をした 『 辻 』 (道が交わった所) ばかりです。

その上『 山田 』『 小林 』 とか、同じ名字の家が多いので、初めてこの部落に来た人は、よく道に迷うそうです。

 

下有知航空写真-1200 竜泰寺-1200

 

昔、一人の六部 (りくぶ・ろくぶ) が、この志摩部落を通りかかりました。

しばらく歩いていると辻に出ました。

「 どっちに行こうかな? よし、右へ曲がってみるか 」と、言ってどんどん進んで行くと、また別の辻に来ました。

「 さて、どちらへ行くか。うん、今度も右へ曲がろう。そうだ、山田さんの家の角を曲がった所と覚えておこう 」と、ぶつぶつ言いながら歩いていくと、辻にでました。

 

※ 六部 (全国六十六ヶ所の有名なお寺などを廻って修行している人)

 

六部は表札を見て、

「 あれ! ここも山田だ。でもさっきの家とはちがうな・・・・」 と、少し不安になってきましたが、しばらく歩くと、また辻へきました。

「 よし、こんどは左へ行ってみよう。角の家は・・・・。ありゃ、ここも山田だ! これは困ったことになったぞ 」 と、ますます不安になってきた六部でした。

それでも歩き続けることにしました。しかしどれだけ行っても辻ばかりです。

 

もう、めちゃくちゃに歩いているうちに、自分がどこに居るのかわからなくなってきました。

あっちこっちの家で道を聞きましたが、さっぱりわかりません。

とうとう日が暮れてしまったので、近くにあった農家の軒先で寝ることにしました。

 

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次の日も、さっそく歩き出しました。

少し行くと南宮神社の前に出ました。

お参りをすませ、 「 さあ、今日こそはこの部落を抜け出よう。きのうはめちゃくちゃに角を曲がったから、いけなかったんだ。今日は全部右に曲かってみよう 」 と、最初の辻を曲がりながら表札を見ると、 『 小林 』 です。

「 しめしめ、どうやら抜け出せそうだ 」 と、ほっとし、六部はまた歩き出しました。

 

少し行くと別の辻に来ました。

右へ曲がりながら表札を見ると、今度も 『 小林 』 です。

六部は心細くなってきましたが、歩き続けました。

辻を四つ、全部右へ曲がったら、また元の南宮神社の前に来てしまいました。

 

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「 ええい! こうなったらどこでもいい。とにかく歩いてみるか 」

やけくそになった六部は、もうでたらめに歩きまわり、通りかかった家では、片っ端から道を聞きました。すると、

「 おまはん、きのうは裏から入って来て道を聞きんさったが、今日は表からニヘんもおんさった。いったい何やっとんさるんや? 」

と、あやしい者を見る目付きで人々に見られました。

 

志摩の迷い道-1200 志摩google

 

あちこちの家でも同じような目つきで見られ、六部はあわてて逃げ出しました。

こうして道に迷い続けて、やっと志摩の部落から抜け出すことができたのは、なんと三年も後になってからのことでした。

今でいう、巨大迷路のような東志摩の迷い道のお話です。

 

※ 東志摩の地域は今でも昔の道がそのまま残り、下有知に住んでいる人でも東志摩に入ると混乱し、何処をどのように通ったのか判らなくなります。

 

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「 下有知の民話 」 より要約 著者は判っていません

 

 

2016年1月24日

下有知ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

 

 

下有知中学校 財産発表会

 

1月23日(土) に下有知中学校の財産発表会が行われました

 

下有知中学校の3本柱(挨拶・掃除・合唱)の一つの合唱を、全校生徒が多くの父兄と地域の皆さんに披露しました。

 

会場全体-1200 父兄-2-1200

 

1年生学年合唱 『 Let’s Search For Tomorrow 』

1年1組合唱 『 ぼくらの世界 』

1年2組合唱 『 友達でいようね 』

1年3組合唱 『 NAKAMA 』

※ 1年生は、きれいな発声でまとまり、爽やかな合唱を披露してくれました。

 

1年生全員-1200 クラスごと-1200

 

2年生学年合唱 『 時の旅人 』

2年1組合唱 『 時を越えて 』

2年1組合唱 『 HEIWAの鐘 』

※ 2年生は、言葉を大切にした素晴らしい合唱で、男子がリードしているのが印象的です。

 

2年生全員-1200 父兄-1200

 

3年生学年合唱 『 予感 』

3年1組合唱 『 メイプルシロップ 』

3年2組合唱 『 天使のいる構図 Ⅲ.Tempestoso 』

※ 3年生は難曲に取り組みましたが、さすがは3年生と思われよく感情表現をして、良く声を出して充分に力を発揮しました。

 

3年生全員-1200 全学年-2400

 

全校合唱 『 Cantare~歌よ大地に響け~ 』

※ 全学年、全員が、いま持っている力をすべて出しきって歌うことが出来ました。

 

2016年1月23日

下有知ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

 

新助の自慢 ( おぶと池 )

下有知風土記15

下有知 ( しもうち ) に伝わる昔話に 『 新助の自慢 』 があります

 

下有知竜泰寺山の東に 『 おぶと池 』 と呼ばれる用水池があります。

 

このおぶと池のほとりに、新助という猟師が住んでおりました。

ある冬の朝、新助が早く起きて池を見ると沢山の鴨が泳いでいました。

さっそく鉄砲を持ち出して、ズドーン!とぶっぱなしました。

すると一発で二羽の鴨が撃てました。

「 これはうまいことをした 」 と、池に入り鴨を二羽ひろってもどる途中、足がぬるりとしたので目をこすってよく見てみると、うなぎが何匹も足に巻き付いています。

これもつかまえました。

 

うなぎを右手に鴨を左手に持って岸まできた時に、足をすべらせたので岸の草につかまると、それがなんと山うさぎの耳でした。

うさぎがびっくりして、足をバタバタさせたら地面が掘れて、土の中から沢山の山芋が出てきました。

新助は “鴨”“うなぎ”“山うさぎ”“山芋” をもって関の町へ行き、これらを売ってから鍛冶屋さんへ行き得意になってこの話をすると、鍛冶屋さんは、

「 今朝、羽(鍬:くわ) と 羽(せんば) を売った 」 と、言いました。

※せんば・・・十能ともいい、炭火を運ぶ道具のこと

 

新助の自慢-1200 竜泰寺

 

そばにきていたお百姓さんは、

「 わしは、羽(豆葉) を取った 」と、言いました。

 

びっくりして家へ帰る途中、口を手にあてた人がやってきて、

「 今そこで 羽(奥歯) を取った 」と、言いました。

 

しょんぼりした新助が家の近くまでくると、肩を落としてガックリした様子の人がやってきて、

「 家も屋敷も売り払い、今朝は、ず羽(手水場) を売った 」 と、言いました。

 

新助は、

「 上には上があるものだ 」 と、感心したそうです。

※手水場・・・便所のことで、手や顔を洗う水のことを『ちょうず』という

 

「下有知の民話」池村兼武氏 著 より要約

 

2016年1月21日

下有知ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)


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