下有知 ( しもうち ) に伝わる昔話に 『 志摩の迷い道 』 があります
関市と美濃市の境に 『 東志摩 』 という部落があります。
その中央には南宮神社があり、部落の外へ出る道は八本ぐらいあります。
しかし、どの道もぐにゃぐにゃと曲がっていて、おまけに、 『 ト 』 の字の形をした 『 辻 』 (道が交わった所) ばかりです。
その上、『 山田 』 や 『 小林 』 とか、同じ名字の家が多いので、初めてこの部落に来た人は、よく道に迷うそうです。
昔、一人の六部 (りくぶ・ろくぶ) が、この志摩部落を通りかかりました。
しばらく歩いていると辻に出ました。
「 どっちに行こうかな? よし、右へ曲がってみるか 」と、言ってどんどん進んで行くと、また別の辻に来ました。
「 さて、どちらへ行くか。うん、今度も右へ曲がろう。そうだ、山田さんの家の角を曲がった所と覚えておこう 」と、ぶつぶつ言いながら歩いていくと、辻にでました。
※ 六部 (全国六十六ヶ所の有名なお寺などを廻って修行している人)
六部は表札を見て、
「 あれ! ここも山田だ。でもさっきの家とはちがうな・・・・」 と、少し不安になってきましたが、しばらく歩くと、また辻へきました。
「 よし、こんどは左へ行ってみよう。角の家は・・・・。ありゃ、ここも山田だ! これは困ったことになったぞ 」 と、ますます不安になってきた六部でした。
それでも歩き続けることにしました。しかしどれだけ行っても辻ばかりです。
もう、めちゃくちゃに歩いているうちに、自分がどこに居るのかわからなくなってきました。
あっちこっちの家で道を聞きましたが、さっぱりわかりません。
とうとう日が暮れてしまったので、近くにあった農家の軒先で寝ることにしました。
次の日も、さっそく歩き出しました。
少し行くと南宮神社の前に出ました。
お参りをすませ、 「 さあ、今日こそはこの部落を抜け出よう。きのうはめちゃくちゃに角を曲がったから、いけなかったんだ。今日は全部右に曲かってみよう 」 と、最初の辻を曲がりながら表札を見ると、 『 小林 』 です。
「 しめしめ、どうやら抜け出せそうだ 」 と、ほっとし、六部はまた歩き出しました。
少し行くと別の辻に来ました。
右へ曲がりながら表札を見ると、今度も 『 小林 』 です。
六部は心細くなってきましたが、歩き続けました。
辻を四つ、全部右へ曲がったら、また元の南宮神社の前に来てしまいました。
「 ええい! こうなったらどこでもいい。とにかく歩いてみるか 」
やけくそになった六部は、もうでたらめに歩きまわり、通りかかった家では、片っ端から道を聞きました。すると、
「 おまはん、きのうは裏から入って来て道を聞きんさったが、今日は表からニヘんもおんさった。いったい何やっとんさるんや? 」
と、あやしい者を見る目付きで人々に見られました。
あちこちの家でも同じような目つきで見られ、六部はあわてて逃げ出しました。
こうして道に迷い続けて、やっと志摩の部落から抜け出すことができたのは、なんと三年も後になってからのことでした。
今でいう、巨大迷路のような東志摩の迷い道のお話です。
※ 東志摩の地域は今でも昔の道がそのまま残り、下有知に住んでいる人でも東志摩に入ると混乱し、何処をどのように通ったのか判らなくなります。
「 下有知の民話 」 より要約 著者は判っていません
2016年1月24日
下有知ふれあいまちづくり推進委員会
委員長 高橋正次(下有知区長会長)