竜ヶ池 ( 竜泰寺 )

下有知風土記14

 

下有知 ( しもうち ) に伝わる昔話に 『 竜ヶ池 』 があります

 

『 足あとてんじょう 』 に出てきた、竜泰寺には、もう一つ 『 竜ヶ池 』 というお話があります。

 

竜泰寺-01 竜泰寺-1200

 

竜泰寺までの参道は 『 八丁松原 』 と呼ばれ、そこを通って勅使門に入ると、赤門(山門)手前の右手に 『 竜ヶ池 』 と呼ばれる池があります。 そして、この池の中央にある島の祠には、竜神が祭られています。

 

竜泰寺-02 竜泰寺-15

 

昔、竜ヶ池には、一匹の竜が長い間住みついていました。 竜は、だんだん年を取ってきて、いろいろなことを考えたり、昔のことを思い出すようになりました。
お母さん竜といっしょに暮していた小さい頃、そして元気だった子どもの頃、青年の頃のこと。 あの頃は本当に元気一杯でした。
何もこわい者はなく、自分がこの世で一番強く、えらいと思っていました。 そして、お寺を守ることに精一杯力を注ぎました。
台風のときや大雨の時は、水をおさめ、洪水を防ぎました。 お寺にふりかかった災難や、邪悪な心を持った悪魔に対して、力の限り戦いました。
つらい戦いの時も 「 もうだめか、もうだめか 」 と、思いながら、それでも精一杯がんばってきました。

 

竜は今でも、あの頃のことを思い出すと、自分は本当に強かったんだと思い、 「 なつかしいなあ! あれはいったいどれくらい前の事だったんだろう? 遠い、遠い、昔になってしまった 」 と、寂しそうにつぶやいていました。
又、竜は自分が生まれてから今までの間に、いったいどれだけの数の人間を見てきた事だろうと思いました。
何百、何千、何万、本当に数えきれないほどの人間達の姿を見てきました。
寺で修行をしているお坊さんや、お寺に熱心におまいりにくる村人もいました。 でも、その人たちは、今はもう死んでおりません。

 

その中には、村人たちから尊敬されて死んだ人、悟りを開いて安らかに死んだ人も沢山いました。   竜は、自分の命の長さにくらべ、人間の命はいかに短く、はかないものかと思っていました。
その竜も自分の死ぬ時が、もうそこまで来ていることを知っています。 そして今、竜は不安で、不安で、たまらなく心細かったのです。 「 おれは、何者よりも強かったのだ。おそれるものなど何もないのだ 」 と、何度も、何度も自分に言い聞かせても、少しも不安はなくなりません。
何日も悩んだあげく、竜は、 「 そうだ、おれもあの人間たちのように仏の教えを聞いてみよう。そうすれば何とかなるかも知れないな 」 と、思いました。

 

竜泰寺-03 竜ヶ池-02-1200

 

それから、お寺を訪ね華叟禅師(かそうぜんじ)に、 「 私は、もう長く生きている事は出来ないようです。
死ぬ事を思うと心細く、不安でしかたありません。どうか、私にも仏の教えをお聞かせください 」 と、お願いしました。
禅師は、竜の心をあわれに思い、仏の教えを授けてやりました。 竜は、くる日もくる日も教えを聞きに来ました。   やがて竜は死に、禅師は竜の骨を桐の箱に入れて、葬ってやりました。
その晩おそく、戸をたたく者があるので、禅師が開けてやると、そこに死んだはずの竜が立っていました。

 

そして、 「 仏の道を教えていただいたおかげで、今度生まれて来る時はうろこのある仲間より、もっと神に近い仲間に生まれ変わる事が出来る事になりました。ありがとうございました 」 と、お礼を言い、また天に帰っていきました。

 

竜泰寺-14 竜ヶ池-01-1200

 

竜泰寺には、今までも櫃(ひつ:ふたのある大きな箱)におさめられた竜骨というものが、秘蔵されています。
そして竜は、竜王権現として、竜泰寺の守り神になっているのです。
その後、竜ヶ池は埋め立てられて、十分の一ぐらいになってしまいましたが、池を埋めて作られた田は、いつまでたっても米の出来が良くなかったという事です。

 

 

『 竜泰寺について 』

現在、竜泰寺が建てられている土地の名を『竜ヶ池』といいます。 竜泰寺の勅使門は、南北朝時代に天皇のお使いをお迎えした時に建てられたので、屋根瓦には菊のご紋が入っています。
そして、勅使門までの参道は 「 八丁松原 」 と呼ばれる立派な松並木がありました。

また、末寺には、広福寺、そして文福茶釜で有名な群馬県館林の茂林寺などがあります。

 

竜泰寺-18 竜泰寺-19菊の紋

 

「 下有知の民話 」 より要約 著者は判っていません

 

 

2016年1月19日
下有知ふれあいのまちづくり推進委員会
委員長 高橋正次(下有知区長会長)

平成28年度南修徳会・新年会

 

平成28年度の南修徳会(会長 池村邦彦さん)の新年会が開催されました

 

日時:2016年1月15日(金) 10:00~15:00

会場:下有知南部公民センター

内容:

◎ 出前講座『関市の観光と良い所を紹介』

 

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◎ 市政報告会 市会議員 山藤鉦彦様

◎ 昼食会

 

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◎ ビンゴ大会

 

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◎ 紙芝居上演『魂の木』 関孫六座(代表 原 泰弘さん)

関孫六座は11名の会員で構成されていて、今日は8名の方々に上演して頂きました。

   マイクを8本セットしての紙芝居ですばらしい上演でした、有難うございました。

 

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このお話は、関市に樹齢推定260年余りの樹高約12メートルのもくせい科のトネリコ

の木があり、昔から「名無木」と呼ばれてきました。

これには、伝説があり、江戸時代中期の享保年間ころ、この地方が日照り続きでわずかな米しか取れず、厳しい年貢の取り立てに遭った農民は飢えに苦しみました。

心を痛めた庄屋の大滝金右衛門は、代官に年貢減免の歎願を重ねましたが聞き入れられず、ついに代官を暗殺してしまい、その罪を問われて金右衛門は処刑されました。

 

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そこで、農民たちは深く悲しみその亡骸を埋葬すると、その場所から見たことのない木が生えたため、農民は「名無木」を名づけ大切に育てたと言われています

「名無木の枝を折るとたたりがある」とも言い伝えられ、現在でも「名無木保存会」の皆さんで周囲の草刈りや祈祷が行われています。

 

2016年1月15日

下有知ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

 

足あとてんじょう (竜泰寺)

下有知風土記13

下有知(しもうち)に伝わる昔話に 『足あとてんじょう』 があります

 

竜泰寺 本堂-03 竜泰寺-1200

竜泰寺-17-2 竜泰寺-16-2

 

ずうっと昔、下有知の竜泰寺が始めて建てられた時のお話です。

その敷地に、びっくりするような岩がどっかりすわっていました。

この大きな岩がじゃまになって、このままでは計画どおりのお寺を建てることができません。

大勢の人が一生懸命おしてみたり、太い棒でこでてみたり、網をかけて引っぱってみたりしましたが、岩はビクとも動きません。

 

img002 竜泰寺 勅使門-01

 

「 困った。何ともならん 」

「 人間の力じゃ動かんな。どうしたらいいんじゃ 」

と、みんなが困りはててワイワイ、ガヤガヤ言っていると、監寺さん(かんずさん:留守番役のお坊さん)の道了様が

「 どれどれ、ひとつ、わしがやってみるかな 」と、言いながら岩に手をかけました。

「 ウーム! 」顔を真っ赤にして力みました。

すると岩が、ぐぐっと、動いたのです。

 

.足あと天井-01-1200 竜泰寺 山門-02

 

「 ややっ、岩が動き出したぞ 」

「 すごいな、こりゃ人間の力じゃねえぞ 」

だんだん岩が大きく動くようになり、そのたびに大勢の人たちが大岩の下に、中ぐらいの石や、小さな石などを入れて岩のあとの穴をうめたので、とうとう岩の全部が土の上に出てきました。

道了様は、

「 えいっ! 」と、大きなかけ声と共に、頭よりも高く岩を持ち上げ、ずしん、ずしんと歩き出しました。

歩くたびに、岩の重さで、足が土の中にめり込みます。

やっとのおもいで岩をどかせた道了様は、みんなのところへもどってきて、足の裏についた土を洗いおとそうとしました。

 

足あと天井-02-1200 竜泰寺-13

 

ところが、いくらこすってもこすっても、土が落ちないのです。

村人たちは、

「 土が落ちないとは、どういうこっちゃ 」

「 そりゃ、あんな重い岩をかついだもんやで、土が足の裏にしみこんだんやねえか 」

「 そうかもしれんな。うん、きっとそうじゃ 」

と、口々に話していると、道了様がやってきて、いくら洗っても落ちない土色の足のまま天井に張るつもりの板の上に立って、大工さんたちの仕事を見ていました。

 

竜泰寺-06 竜泰寺-05

 

しばらくして、何気なく足元を見ると、板の上に足の形がべったりと付いているではありませんか。

「 あれ? 」

思わず足の位置を変えてみました。

すると、そこにも足の跡がつくではありませんか。

「 ほい、しまった。大工さん、まことにすまんこっちゃがもういっぺん鉋をかけてくんさらんか 」

ところが、・・・・削っても削っても足の跡はきえません。

しかたがないので大工さんは、足あとがついたまま板を天井へはりました。

 

足あと天井-03-1200 竜泰寺-07

 

ついに、竜泰寺が完成しました。村人たちは完成を祝って集まってきました。

所がどこをさがしても道了様の姿が見当たりません。

「 おい、道了様はどうしんさった? 」

「 どこへ行かしたやろ、おかしいな 」 と、みんなが大騒ぎをしていると、

「 ここじゃ、ここじゃ 」と、上の方から声が聞こえてきました。

びっくりして、みんなが上を見ると、道了様が天上の足あとにぴったりと足をつけてこうもりのように、ぶら下がっていました。

 

竜泰寺-10 竜泰寺-09

 

「 これはどうしたことじゃ! 」

「 そこで何をしとんさるか? 」と、村人たちは驚いて道了様に呼びかけました。

道了様はみんなの顔をみてただ、にやにやと笑っているばかりです。

「 ああっ!もしかしたら道了様は天狗かもしれんぞ 」

「 そうじゃ、そうじゃ、そうにちがいない 」 と、大騒ぎです。

 

img003 竜泰寺-08

 

やがて道了様は、天狗の姿になって天井から離れ、空に飛び立って行きました。

「 そうか、天狗が道了様の姿をかりてわしらを助けてくれたんや 」

「 そうだ、道了様が岩をどかせて下さったおかげでこんな立派なお寺ができたんじゃ 」

「 いつまでも道了様を忘れないようにおまつりをしよう 」

と、いうことになり、道了様を竜泰寺の守護神、道了権現として本堂にまつることにしました。

 

竜泰寺-11 竜泰寺-12

 

そして竜泰寺本堂の天井板には今でも天狗の足の跡が残っています。

どんな足跡なのか興味ありませんか?

 

竜泰寺-04

 

「下有知の民話」より要約 著者は判っていません

 

 

竜泰寺の由来

 

竜泰寺は応永十四年(1407)第一祖無極慧徹禅師(むごくえてつぜんし)によって開創され、第二祖月江正文、第三祖開山華叟正蕚禅師(かそうしょうがくぜんし)に受け継がれました。

開山華叟正蕚禅師の法載嗣である絶方祖奝(そちょう)、快庵妙慶、大林正道の三師大澤寺(長野県)、大中寺(栃木県)、茂林寺(群馬県)をそれぞれ創建しました。

 

その門葉は中世から近世にかけて大きく展開し教線を拡げ、北は山形県から南は大分県まで一都二府十九県にわたり、約700寺がその流れを汲んでいます。

 

俗に、絶方祖奝、快庵妙慶、大林正道の三師の法系が華叟三派(かそうさんは)といわれる由縁です。

しかし、開創当事は戦乱逃れるため、第一祖無極慧徹禅師(むごくえてつぜんし)と第二祖月江正文の両禅師は竜泰寺と大泉寺(犬山市・現在は臨済宗)とを往来し、命脈を保ったと伝えられています。

 

開基は九代将軍の足利義尚とされますが、その外護により兵火で焼失した伽藍を華叟正蕚禅師が嘉吉三年(1443)再建、その後も再度兵火に遭い続けたが、貞享四年(1687)二十一世清厳貞淳禅師が山門を、三年後には経蔵を建立するなど徐々に復興しました。

 

現在の庫裡と本堂は文化六年(1809)三十三世独翁富山禅師と四十世印宗正契禅師(いんじゅうしょうかい)がそれぞれ再建しました。

さらに老朽化した伽藍は昭和五十二年(1977)より平成十三年(2001)までに再建と修復をほぼ完了しました。

 

平成三十年11月には竜泰寺で晋山式(しんざん しき)が行われます。

※ 晋山式とは、寺院に新たな住職が就任する際の儀式のことです。

 

 

2016年1月9日

下有知ふれあいのまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

 

 

 

 

曽代用水 世界かんがい施設遺産登録祝賀会

 

曽代用水 世界かんがい施設遺産登録祝賀会が開催されました

 

曽代用水が『世界かんがい施設遺産』に登録され、また曽代用水が関わる「清流長良川の鮎」も『世界農業遺産』に認定され、各界のご来賓と曽代用水関係者を含めた出席者130名で盛大に祝賀会が開催されました。

 

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2016年1月8日

下有知ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

2015年度下有知小学校ふれあいクラブ

 

2015年度第11回目の下有知小学校ふれあいクラブを行いました。

 

2015年度第11回目の下有知小学校ふれあいクラブは、新年を迎えて 『 いろいろなゲームをして遊ぼう 』 とのテーマで、百人一首・福笑い・けん玉・バトミントンなどをして楽しく遊びました。

 

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ふれあいセンターの和室では百人一首・福笑い・けん玉をしました

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次回の12回目の下有知小学校ふれあいクラブでは、1月23日に 『 簡単な英語で遊ぼう 』をテーマに開催します。

 

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ホールではバトミントンをして楽しくすごしました

 

2016年1月9日

下有知小学校ふれあいクラブ

コーディネーター 今井徹

 


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