![下有知風土記9](https://shimouchi.jp/xoops/uploads/wp-content/uploads/2016/01/d8f091d89d8f6d8ea76e4c097e4f6f55.gif)
下有知(しもうち)に伝わる昔話に 『ずっとん和尚』 があります
下有知中学校の校歌にも歌われている唐栗山(からくりやま)の頂上に唐栗神社(からくりじんじゃ)がお祭りしてあります。
そして、その山の東側に黄檗宗(おうばくそう)の松洞院(しょうどういん)というお寺がありました。
このお寺に、良寛さまみたいに子供の大好きな和尚さんが住んでいて、朝のお勤めを済ませた後は一日中子供と遊んでばかりいました。
ある日のこと、和尚さんが裏山に登ってみると狸が一匹じっと和尚さんを眺めています。
その顔がいかにも可愛かったので 「おう、おまえも一人ぼっちで淋しいか、お寺へおいで」 と声をかけると、狸は和尚さんについてお寺までやってきました。
「狸や、よう来たな。お供えのお餅をやるで食べな」 と言ってやりますと、喜んでそれを食べ、それからは夜でも遊びに来るようになり、和尚さんとすっかり仲良しになりました。
![狼の聞き分け 図](https://shimouchi.jp/xoops/uploads/wp-content/uploads/2015/12/b6aec3e7b7fd088dda9a2a49d250a666-250x190.jpg)
ある晩のこと、和尚さんが目を覚ますと、ズットン、ズットンと音がします。
何だろうと思って見に行って見ると、雨戸の節穴から狸のしっぽが出たり入ったりして、そのたびにズットン、ズットンと音がします。
しばらく黙って見ていましたが、いつまでたっても止めないのでしっぽが節穴からぐっと出た時に力いっぱい引っ張りました。
「キャンキャン」
びっくりした狸は逃げて行き、それからはもう遊びに来なくなりました。
それからは子供達は和尚さんのことを 『ずっとん和尚』 と呼ぶようになり、子どもと和尚さんはこの狸遊びをするようになりました。
狸遊びのやり方は、狸役になった子は帯をぞろ~んと下げ、壁の穴などに差し込みます。
それを和尚さん役になった子が不意に引っ張ると、狸役になった子はキャンキャンと大声をあげて逃げるのです。
この遊びは大正時代まで続いたとの事です。
![ずっとん和尚-02-1200](https://shimouchi.jp/xoops/uploads/wp-content/uploads/2015/12/185392d10973c89e1d5f5b6d99693eed-250x188.jpg)
唐栗山の東側の麓には沢山の石仏が祭られています、真ん中が和尚さんで回りの石仏は子供達でしょうか?
あたりはきれいに整備され管理されています、むかし子供達が遊んだ狸遊びを想像してお参りして下さい。
「下有知の民話」池村兼武氏 著 より要約
2015年12月28日
下有知ふれあいのまちづくり推進委員会
委員長 高橋正次(下有知区長会長)
![下有知風土記7](https://shimouchi.jp/xoops/uploads/wp-content/uploads/2016/01/7cd0f77dbf38f1e75643ca0a054ef7e5.gif)
下有知(しもうち)に伝わる昔話に 『気楽さま』 があります
むかし下有知の中組に気楽さまと呼ばれる一軒の豪農がいました。
この豪農はたいへん気立ての良い人で、いつもみんなの暮らしが良くなるようにと考えていました。
そして神や仏も大切にし、広い屋敷の中には神様や仏様をまつり朝晩にお参りしました。
よく勉強をして色々な事を知っていたので、組や村の人達は判らない事があると聞きに行き、難しい問題が出きるとこの人に相談するようになりました。
村の人達は、この人を神様のような人だと尊敬していました。
![気楽さま-08-1200](https://shimouchi.jp/xoops/uploads/wp-content/uploads/2015/12/01f0ddfcd036da09914f5ca3f2f5f8b1-250x285.jpg)
こんな良い人なのに、どうしたことか子供が有りませんでした。
気楽さまはある日 「人はいつかは死ぬ時がくる。せめて生きている間に村や組の人に喜んでもらえるような事がしたい。」 と考えました。
「この中組は道や橋が悪い。まずこれを直すことだ。」 と思いました。
自分のお金を出して、今までに見たこともない石で造った橋を架けました。
「木で作った橋は水が出ると流れてしまうが、今度は流れなんだ。」 と、みんなは口々に喜びました。
それからこの辺りを石橋と呼ぶようになったのです。
![気楽さま-03-1200](https://shimouchi.jp/xoops/uploads/wp-content/uploads/2015/12/22b2bc1a0deb6e42543dcf8d983558a1-250x333.jpg)
その頃、八幡様を山の上に祭ることになりました。
土盛りや石組み、拝殿造りなどの重労働も先に立って毎日働きました。
八幡様の拝殿の石垣や石段の石は、この人がお金を出して志摩や生櫛の人に運んでもらったと言われています。
![気楽さま-04-1200](https://shimouchi.jp/xoops/uploads/wp-content/uploads/2015/12/5989181c65b7dcb2857a7746eaab0c8e-250x333.jpg)
この人の顔はいかにも穏やかで、いつもにこにこしていたので 『気楽さま』 と呼ばれたのです。
そのうちに気楽さまも年をとり病気になりました。
中組の人達は心配して 「早く治りますように。」 と、神や仏にお祈りをしました。
それでも病気はだんだんと重くなり、ある晩のこと苦しい息の下から 「わしは、もうじき死ぬだろう。わしが死んだ後は山も田も畑も、みんな中組の人達にあげましょう。」 と言い、ついに亡くなりました。
![気楽さま-05-1200](https://shimouchi.jp/xoops/uploads/wp-content/uploads/2015/12/a53bd66f58877984717054cd050eab83-250x333.jpg)
中組の人達はひどく悲しみ、ねんごろに弔いました。
そして気楽さまをたたえてお地蔵様を建てて毎年8月11日に御祭りをする事になりました。
それが八幡神社前にある 『笑翁気楽地蔵様』 です。
その後、気楽さまから頂いた田を気楽田といって、この田から取れる穀物を笑翁気楽地蔵様 (しょうおうきらくじぞうさま) にお供えして、お祭りをするようになりました。
この祭りは 『提灯祭り』 と言って、赤と白の和紙で貼った提灯にろうそくを灯してお祭りをするのです。
![山の子-07-1200](https://shimouchi.jp/xoops/uploads/wp-content/uploads/2015/12/c53f87902427a56bd0da3db63fed4a9f-250x188.jpg)
『 笑翁気楽地蔵様 』は八幡神社の石段のもとにおまつりしてあります、近くには山の講もおまつりしてあります、皆さんもぜひ訪れてみてはどうでしょう。
「下有知の民話」池村兼武氏 著 より要約
2015年12月27日
下有知ふれあいのまちづくり推進委員会
委員長 高橋正次(下有知区長会長)