世界農業遺産への国連認定調査員が曽代用水を視察しました

 

   5月26日 世界農業遺産への認定を目指す「長良川アユ」のFAO(国連食糧農業機関)調査員が、曽代用水土地改良区(理事長 松田洋一)を視察しました。
説明場所は下有知の「杁之戸分水」で、曽代用水の開祖、柴山伊兵衛の末裔(後裔)の柴山副理事長が説明を行いました。

 

 世界農業遺産(GIAHS: Globally Important Agricultural Heritage Systems)とは、何世代にもわたり社会や環境に適応しながら発達し形づくられてきた農業上の土地利用・伝統的な農業・それに関わって育まれた文化、景観・生物多様性に富んだ世界的に重要な地域を次世代へ継承することを目的として国連食糧農業機(FAO)が2002年(平成14年)から開始したプログラムです。

 
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1663年(寛文3年)現在の関市一帯は長良川の水位との差が大きく水不足に悩まされ干ばつがたびたび起り荒れ地となっていました。

この地に移住してきた尾張藩の浪人喜田吉右衛門と弟の林幽閑はこれを見かねて、地元の豪農の柴山伊兵衛と相談し、長良川上流の曽代地区から水を引く用水を計画しました。

 

固い岩盤を掘削するため、炭や焚き木の火で岩を焼き水をかけて岩を砕きやすくしてから、たがねと金鎚で掘るという厳しい作業が続き多額の費用がかかり工事費は約5,500両にもなり、三氏は私財を全て使い果たし喜田吉右衛門は離脱し林幽閑も行方知れずとなってしまいましたが、柴山伊兵衛は貧しい小屋に住みながら頑張りとおしました。

 

そして、着工から10年の歳月を経て、約17キロメートルわたる用水が完成し、荒れ地だった関市は美しい水田に生まれ変りました。

農民のために曽代用水完成させた喜田吉右衛門 林幽閑 柴山伊兵衛 の三氏の遺徳を偲んで井神社を建立し、毎年7月31日に試楽祭を、そして翌日の8月1日に例大祭を行って感謝しています。

 

2015年5月28日

関市自治会連合会下有知支部  支部長

曽代用水 土地改良区  副理事長
平田忠彦

 

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