しもうちホームページの記事の投稿者を募集します

下有知に関する紹介・できごと・行事・活動などの記事をしもうちのホームページに皆さんで書いて頂けませんか?

現在の活動報告は下有知ふれあいまちづくりのメンバーで記事を書いていますが、下有知ではもっともっと沢山の行事が行われています。

私達だけではご紹介できない下有知のできごとを、もっと皆さんに知って頂けるように一般の方の記者を募集いたします。

 

09. 下有知記者腕章 2015.01.31...ai

 

しもうちホームページの記者として参加してくださる皆さんには、登録をして頂きその後に書き込み権限を与える・・・という手順で進めます。

募集する記者数は数名で、責任のある記事を書いて頂くために実名を書いていただきます。

なお、管理者が不適当と認めた記事は削除いたします。

しもうちホームページの記者になることをご希望の皆さんは“お問い合わせ”のページから申し込みをしてください。

 

2015年1月31日

下有知役員ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

投稿写真のデフォルトサイズを縮小しました。投稿の方法について

今まで挿入写真のデフォルトサイズが300ピクセルでしたが、右カラムに過去記事を表示するように設定しました。

このことにより画像サイズを250ピクセルが標準となるように設定変更しました。
写真の下部あたりに説明を書き込む場合には写真2枚を挿入後「シフトキー+エンターキー」の同時押しで行替えすると上部写真との間隔が開かずに写真直下に文字を記述することができます。(記事編集のみ際にも使える技です)
普通に記事を書いていく場合には単にエンターキーで上部の写真との間隔をあけて文章を書くことができます。
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シフトキー+エンターキーで行替えした場合はこのように写真と間隔が開きません

 

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単にエンターキーだけで行替えした場合は。上部との間隔が開きます。

 

また写真を投稿して説明文を書きたい場合には右欄のキャプション枠に説明文を書くか、挿入済の写真をクリックして鉛筆マークをクリックすることでキャプションを書き込むことが可能です。(説明が長くなっても、折り返して写真の下部に収まる設計になっています)

この場合、写真配置を左寄せに設定しないと、二枚目の写真が行替えして下の位置に縦に並んで挿入されますのでデフォルトの「配置なし」から「左寄せ」にして挿入してください。

例 デフォルトのままで配置を指定してない場合

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うまく入ったかな?

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やったー

 

 

 

左寄せを指定して並べて挿入

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入れつっ!

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眠いなぁ

なおキャプションなし写真とキャプション付写真を横に並べることは不可能(方法はあるかもしれない)なので横に2枚並べて配置したい場合にはどちらかに統一して配置してみてください。

 

写真を挿入してからビジュアルモードからテキストモードに切り替えて文章の編集をするのも良いかもしれません。

 

管理人

南修徳会・新年会(新春ふれあいサロン)

日時:2015年1月16日(金) 10:00~15:00

会場:下有知南部公民センター

内容:出前講座『高齢者交通安全教室』

◎ 市政報告会 市会議員 山藤鉦彦様

◎ 昼食会

◎ バトミントン バードゴルフ

◎ ビンゴゲーム

 

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高齢者のための交通安全のお話を聞きました

市会議員 山藤鉦彦様から市政の報告をして頂きました

幕の内弁当をおいしくいただきました

バトミントンのラケットで羽を打ち網の中に入れて得点をします

南修徳会の会員44名の皆さんが新らしい年を祝い、一日楽しく過ごしました

 

2015年1月16日

南修徳会会長:大野 肇

斎宮社

下有知風土記4

 

 

斎宮社の説明

 

平成三年六月吉日に書かれた、『斎宮社云々伝えの記』の記録に基づいて記します

冒頭には『この記事は終戦直後に当時美濃市在住の退職された先生が近郷の歴史や伝説 古き事を自分の目と耳と足で尋ねられ記載されました』・・・と書いてあります

美濃市在住の退職された先生いつ頃に書かれたのかそしてお名前は誰なのかという事、また著者のお名前も書いて無い事が残念です

この『斎宮社云々伝えの記』の記録は下有知の白山神社・八幡神社・唐栗神社・秋葉神社の宮司である大野勝己様が保管されていた文書を提供して頂きました

 

下有知で古き社の一つで有る斎宮神社は、当時は無格神ながらも立派な社で向山の麓に祭祀(さいし)されていました

シャゴジ様・シャグジ様・オシャゴジ様・サイグウジン様などと呼ばれていたのが斎宮神(サイグウジン)となったようです

斎宮神の屋敷と呼ぶ杜(もり)は隣り合わせに祀られた山之神の屋敷と接し、双方共にかなり広い面積があり杉や檜の大木が茂っていました

昭和初年まで村井一族十数戸の氏神として向山の麓に祭祀(さいし)されていました

 

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向山神社                         向山神社の杉林の右側に斎宮神跡と山之神があります

 

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斎宮神跡を示す石碑があります             山之神が祀ってあります

 

祭神が何によるかは知る人は居ませんが、むかし村の地を測った間縄(けんなわ)を祀ったと各家に伝えられています

  • 間縄(けんなわ)は一間ごとに印をつけた縄です

この地は古くから名も無い尊い所なので、村の地を測った時に間縄を収めて一寸社(いっすんじゃ)と名づけたのがシャグジと呼ばれ、斎宮神となったようです

 

明治時代の終年に向山神社に合祀されましたが、その際に拝した御神体は幣束と杓文字(しゃもじ)のような物でした

  • 幣束(へいそく)は幣(ぬさ)とも言われて裂いた麻やたたんだ紙を細長い木にはさんだ祭具で、祓串のように参拝者に対する祓い具として用いられる

 

 

山王山の麓には、

北東に日吉神社があり(昭和十三年九月三十日に合祀して向山神社となりました)
東側に斎宮神社と山之神があり(現存します)
南東に『日本武尊(やまとたけるのみこと)が休まれた』という伝えがある泉があり(現在は確認できません)
南側にはチシャゲ場に馬頭観音を祀り(現存します)
南西側を杉ヶ洞と呼び古くから埋墓(うめばか)がありました(現存します)

※ チシャゲ場は馬の爪を切る場所です

 

山王山付近図のコピー OLYMPUS DIGITAL CAMERA

下有知山王山付近の地図                        斎宮神跡の広場

道路沿い石仏 OLYMPUS DIGITAL CAMERA

左から2番目が馬頭観音です                 北から見た山王山全景 左裾野に向山神社があります

 

明治時代以後斎宮神は日吉神社の境内神として形式的に保存されていましたが、大正五年に社費用捻出のために斎宮神の屋敷の一部の木を伐採した時に、古木の下の岩石で四角び囲み砂を敷き詰めた中に刀身・鉄鏃(やじり)小玉・官玉が入っていました

刀を埋めた上に植樹をしたものと思われます、刀身は一番底にあり刃は北向きに納められていました

斎宮神と出土品の繋がりは不明です

 

斎宮神の出土品は大正五年十月三日に帝室博物館(現在の東京国立博物館)に寄贈されました

刀身: 長さ三尺六寸四分

鉄利器: 長さ5寸四分  片・刀鋒 菖蒲形

鉄鏃残片: 腐蝕

小玉: 銅製 1個破損

官玉: 碧玉(へきぎょく)岩製 長さ八部弱

 

明治時代の終年に向山神社に合祀された後は社の無くなった斎宮屋敷は開墾して一時畑としたが、下肥を使った者に過ちが起こり今では竹薮となっています(現在は向山神社の駐車場と一部分は竹薮です)

 

※ 下有知の歴史には疎い私がまとめましたので間違いが有るかと思います、また他に関係する事でご存知の方がおられましたら是非教えて下さい。

 

2015年1月2日

下有知役員ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

下有知向山神社

 下有知風土記3

向山神社の説明

 

平成五年五月吉日に書かれた、銀幣社向山神社誌 向山神社社務所著 の記録に基づいて記します

この銀幣社向山神社誌の資料は、下有知の白山神社・八幡神社・唐栗神社・秋葉神社の宮司である大野勝己様が保管されていた文書を提供して頂きました

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 向山神社付近図のコピー

 

1. 神社名は 銀幣社(ぎんぺいしゃ)向山神社 です

祭神(さいじん)は 向山大神 です

向山神社には六つの神社が合祀して祀ってあります

 

※ 銀幣社について

戦後になり公的な社格が無くなり岐阜県の場合は神社庁の規定により金幣社・銀幣社・白幣社と格付けが設けられました。

 

2. 年間の祭儀の日は下記のようです

元旦祭 : 一月元旦

祈念祭(御霊社) : 三月第二日曜日

春例大祭 : 四月第三日曜日

厳島社祭 : 八月第一日曜日 または 七月最終日曜日

秋例大祭 : 十二月第二日曜日

大袚 : 松飾り十二月二十九日

 

3. 境内には他に 厳島社 と 御霊社 が祀られています

境内地には 津島社 も祀られています

 

4.  向山神社の氏子は三百戸です

 

5.由緒

昭和十三年九月三十日に、元の村社である日吉神社 ・ 元の村社である星宮神社 ・ 元の村社である土地神社 ・ 以前に合祀した斎宮神社 ・ 元の村社である大宮神社を合祀して向山神社と改名されました

 

昭和二十五年十一月七日に、元の村社である神明神社を合祀して銀幣社 向山神社と改名されました

 

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向山神社由緒の書かれた石碑があります       村社の石碑があります

 

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御霊社の石碑は参道の右側に立てられています

 

6. 合祀してある神社の説明

日吉神社

○祭神(さいじん)は 大山昨神(おおやまくいのかみ、おほやまくひのかみ)です

昨「くい」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神である事を意味します

○正保六年(正保は正保5年『1648年』までで正保六年はありません)に葺替、寛文元年(1661年)に再建、文化(1804~1818)・文政(1818~1830)に葺替の棟札があります

 

星宮神社

○祭神は不詳ですが弥勒菩薩と思われるとの事です

○元禄十一年(1698)、正徳六年(1716)、享和元年(1801)、文化十四年(1817),文政十二年(1829)、安政四年(1857)に再建と葺替が有ったと記されています

○ 寛文(1661~1673)年間に曽代用水開発により、この地に移転斉鎮したと地元の言い伝えがあります

 

土地神社

○祭神は大国主大神です

○大昔には字土地守に鎮座してあったのが、正保二年の棟札が納めてあることから正保二年(1645)に向山神社に鎮座せられたと思われます。

○正保二年(1645)鎮座、正徳六年(1716)、寛文三年(1663年)、文化十四年(1817), 天保元年(1830)に葺替が有ったと記されています

 

斎宮神社

○祭神は不詳です

○地元の言い伝えによると、向山神社中で最も古い神であると伝えられています

○向山神社の北一丁ほどの所に斎宮神の地名が有り、その後に現在の跡地の標識のある地点に遷宮鎮座されて、明治の終年に合祀されたと記されています

○寛文(1661~1673)、天明三年(1783)、文化七年(1810)、文政十年(1827)に葺替が有ったと記されています

 

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斎宮神社跡地の標識は参道の右側の地にあります

 

大宮神社

○祭神は不詳です

○大昔には下有知字大宮に鎮座されていたのを寛文(1661~1673)年間に曽代用水開発により冨士神社右脇に遷座され、昭和十三年九月三十日に向山神社に合祀されました

○明治八年の神社改証の際に美濃国神社帳に無従五位下大宮明神と定められました

○享和三年(1803)再建、文政二年(1819) 、天保(1830~1844)、安政五年(1858)に葺替が有ったと記されています

 

神明神社

○祭神は天照大神です

○大昔には下有知字神明に鎮座されていたのを 寛文(1661~1673)年間に曽代用水開発により冨士神社左脇に遷座され、昭和二十五年十一月七日に向山神社に合祀されました

○明治八年の神社改証の際に美濃国神明帳に下有知御鳳神明神社と記されています

○宝暦十二年(1762)、安永五年(1776)、寛政六年(1794)、文化七年(1810)、文政九年(1826)の棟札が奉ってあります

 

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山之神は参道の右側の地にあります

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毎年12月に山之神の神事が行われています

 

 

7,いろいろの古文書に書かれている向山神社の歴史

イ. 天慶二年(939)美濃国神明帳に下有知に大宮明神、志摩に志岡明神有ると記され、和名抄には有知の郷に有ると記されて    います

※ 和名抄は和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)の略で平安時代中期に作られた辞書です

 

ロ. 長歴二年(1038)下有知御厨(みくり、みくりや)と言い『伊勢神宮領』に設定せられる

下有知御厨(伊勢神宮領)になると共に神明社 斎宮社を奉祀(ほうし)したものと思われます

 

ハ.  文治四年(1184) 伊勢神宮文庫に武藝郡下有知御厨内 大式三位家 原範能

供祭物八丈 絹三疋 別進起請七疋 と記されています

 

※ 下有知の歴史には疎い私がまとめましたので間違いが有るかと思います、また他に関係する事でご存知の方がおられましたら是非教えて下さい。

 

向山神社では毎年左義長が行われています

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2015年1月1日

下有知役員ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)


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