狼の聞き分け (唐栗山)

下有知風土記10

下有知(しもうち)に伝わる昔話に 『狼の聞き分け』 があります

 

丸の中に四角い穴のあいた 「寛永通宝」 が通用するより前のお話です。(江戸時代より前となります)

唐栗山のふもとに末次郎というお百姓が住んでいました。

秋の取り入れも終わり 「寒い冬が来てもええな。来年までは・・・」 と言いながら、ふと薪小屋を見ると薪が少ししかありません。

「こりゃいかん。これでは冬が越せん」 と言い、翌日は朝早くから背板を背負い、鎌や鉈を持って薪を切りに出かけました。

 

狼の聞き分け-5-1200 狼の聞き分け 図

下有知中学校の校歌に歌われる唐栗山、ここに下有知中学校のマスコットキャラクター「からちゃん」が住んでいます

 

山へ着いても一服もせず仕事にかかったので、神光寺の鐘がゴ~ンとお昼を告げた時には、他の者なら一日分になる程の薪を切り出していました。

昼弁当を食べながら、ふと前を見ると可愛い子犬がしっぽを振っています。

「こっちへおいで」 と抱き寄せ、頭をなでてやり弁当を分けて食べさせました。

 

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少し離れた今宮山の麓にある神光寺の鐘つき堂          「からちゃん」

 

弁当が終わり午後の仕事に取り掛かっても、子犬はその辺りをころころ歩き回っており、やがて日暮れ時になりました。

子犬をこんな山に残しておくのは可愛そうだと思い、子犬をふところに入れて家に帰りました。

家の人達は珍しがって、箱に藁を敷いて寝床を作ってやり、どんぶりにご飯を入れ味噌汁をかけて食べさせました。

 

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唐栗神社の石段

 

真夜中のこと、バリバリ、ドンドンドンと戸をたたく音がしました。

初めは風の音かと思いましたが段々と音が大きくなり、ウォ~という唸り声まで聞こえたので、びっくりして戸を開けてみると大きな狼が二匹いました。

 

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唐栗山山頂にある唐栗神社

 

末次郎さんはそこに座り、人にお詫びをするように手をついて 「今日の子犬はお前たちの子じゃったのか。わしは知らんもんで拾って来てしまったが、まことにすまんことをした」

「今夜は暗いで、明日はちゃんと連れてって元の所に返すで、帰ってもらえんじゃろか」 と丁寧に言いました。

すると、二匹の狼は大きくふた声吠えて帰って行きました。

 

末次郎さんは、「ああ、狼とゆうものは、何と聞き分けの良いものだ」  と感心したそうです。

 

 

「下有知の民話」池村兼武氏 著 より要約

 

2015年12月29日

下有知ふれあいのまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

ずっとん和尚 (唐栗山・唐栗神社)

下有知風土記9

 

 

下有知(しもうち)に伝わる昔話に 『ずっとん和尚』 があります

 

下有知中学校の校歌にも歌われている唐栗山(からくりやま)の頂上に唐栗神社(からくりじんじゃ)がお祭りしてあります。

そして、その山の東側に黄檗宗(おうばくそう)の松洞院(しょうどういん)というお寺がありました。

このお寺に、良寛さまみたいに子供の大好きな和尚さんが住んでいて、朝のお勤めを済ませた後は一日中子供と遊んでばかりいました。

 

ある日のこと、和尚さんが裏山に登ってみると狸が一匹じっと和尚さんを眺めています。

その顔がいかにも可愛かったので 「おう、おまえも一人ぼっちで淋しいか、お寺へおいで」 と声をかけると、狸は和尚さんについてお寺までやってきました。

「狸や、よう来たな。お供えのお餅をやるで食べな」 と言ってやりますと、喜んでそれを食べ、それからは夜でも遊びに来るようになり、和尚さんとすっかり仲良しになりました。

 

ずっとん和尚-03-1200 狼の聞き分け 図

 

ある晩のこと、和尚さんが目を覚ますと、ズットン、ズットンと音がします。

何だろうと思って見に行って見ると、雨戸の節穴から狸のしっぽが出たり入ったりして、そのたびにズットン、ズットンと音がします。

 

しばらく黙って見ていましたが、いつまでたっても止めないのでしっぽが節穴からぐっと出た時に力いっぱい引っ張りました。

「キャンキャン」

びっくりした狸は逃げて行き、それからはもう遊びに来なくなりました。

 

それからは子供達は和尚さんのことを 『ずっとん和尚』 と呼ぶようになり、子どもと和尚さんはこの狸遊びをするようになりました。

狸遊びのやり方は、狸役になった子は帯をぞろ~んと下げ、壁の穴などに差し込みます。

それを和尚さん役になった子が不意に引っ張ると、狸役になった子はキャンキャンと大声をあげて逃げるのです。

この遊びは大正時代まで続いたとの事です。

 

ずっとん和尚-01-1200 ずっとん和尚-02-1200

 

唐栗山の東側の麓には沢山の石仏が祭られています、真ん中が和尚さんで回りの石仏は子供達でしょうか?

あたりはきれいに整備され管理されています、むかし子供達が遊んだ狸遊びを想像してお参りして下さい。

 

 

「下有知の民話」池村兼武氏 著 より要約

 

2015年12月28日

下有知ふれあいのまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

気楽さま (八幡神社)

下有知風土記7

下有知(しもうち)に伝わる昔話に 『気楽さま』 があります

 

むかし下有知の中組に気楽さまと呼ばれる一軒の豪農がいました。

この豪農はたいへん気立ての良い人で、いつもみんなの暮らしが良くなるようにと考えていました。

そして神や仏も大切にし、広い屋敷の中には神様や仏様をまつり朝晩にお参りしました。

よく勉強をして色々な事を知っていたので、組や村の人達は判らない事があると聞きに行き、難しい問題が出きるとこの人に相談するようになりました。

村の人達は、この人を神様のような人だと尊敬していました。

 

狼の聞き分け 図 気楽さま-08-1200

 

こんな良い人なのに、どうしたことか子供が有りませんでした。

気楽さまはある日 「人はいつかは死ぬ時がくる。せめて生きている間に村や組の人に喜んでもらえるような事がしたい。」 と考えました。

「この中組は道や橋が悪い。まずこれを直すことだ。」 と思いました。

自分のお金を出して、今までに見たこともない石で造った橋を架けました。

「木で作った橋は水が出ると流れてしまうが、今度は流れなんだ。」 と、みんなは口々に喜びました。

それからこの辺りを石橋と呼ぶようになったのです。

 

気楽さま-01-1200 気楽さま-03-1200

 

その頃、八幡様を山の上に祭ることになりました。

土盛りや石組み、拝殿造りなどの重労働も先に立って毎日働きました。

八幡様の拝殿の石垣や石段の石は、この人がお金を出して志摩や生櫛の人に運んでもらったと言われています。

 

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この人の顔はいかにも穏やかで、いつもにこにこしていたので 『気楽さま』 と呼ばれたのです。

そのうちに気楽さまも年をとり病気になりました。

中組の人達は心配して 「早く治りますように。」 と、神や仏にお祈りをしました。

それでも病気はだんだんと重くなり、ある晩のこと苦しい息の下から 「わしは、もうじき死ぬだろう。わしが死んだ後は山も田も畑も、みんな中組の人達にあげましょう。」 と言い、ついに亡くなりました。

 

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中組の人達はひどく悲しみ、ねんごろに弔いました。

そして気楽さまをたたえてお地蔵様を建てて毎年8月11日に御祭りをする事になりました。

それが八幡神社前にある 『笑翁気楽地蔵様』 です。

 

その後、気楽さまから頂いた田を気楽田といって、この田から取れる穀物を笑翁気楽地蔵様 (しょうおうきらくじぞうさま) にお供えして、お祭りをするようになりました。

この祭りは 『提灯祭り』 と言って、赤と白の和紙で貼った提灯にろうそくを灯してお祭りをするのです。

 

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『 笑翁気楽地蔵様 』は八幡神社の石段のもとにおまつりしてあります、近くには山の講もおまつりしてあります、皆さんもぜひ訪れてみてはどうでしょう。

 

「下有知の民話」池村兼武氏 著 より要約

 

 

2015年12月27日

下有知ふれあいのまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

 

咳止め地蔵 (下有知上切)

下有知風土記8

下有知(しもうち)に伝わる昔話に 『咳止め地蔵』 があります

 

下有知中学校の近くの上切の交差点の角に咳止め地蔵があります。

昔そこは村の中央で近くに小川があり、川に橋がかかっていました。

この川は夏になれば田んぼに水を引くための大切な川です。

田植えが終わると、それぞれの人がこの川の水をせき止めて自分の田んぼへ水を引く所になっていました。

川の中に細長い石がドスンと置いてあり、この石をいろいろ動かして水の流れる方向を変えて、田んぼへ入れる水の量を加減するのです。

 

狼の聞き分け 図 咳止め地蔵-01-1200

 

ある年、この村に悪い風邪がはやりました。

それでも田んぼへ入れる水の面倒をみなければいけません。

ある人が、風邪で体の具合が悪いのを我慢して、田んぼへ水を入れるためにここへ来ました。

ふと川の中をのぞいてびっくりしました。

なんと、その石が仏様の顔に見えます。

その人は、 『ああ、仏様が私の風邪を治してくださるのだ』 と、川端に座って何度も、何度もこの石を拝みました。

 

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家に帰り、この話をすると家の者は 『本当か、それは不思議なことだ。きっと仏様が助けてくださるに違いないから風邪は治るだろう』 と、家の者も走ってその石を拝みに行きました。

すると、風邪は2、3日ですっかり元のように治っていました。

そこで、川からその石を拾い上げて近所におまつりしました。

 

咳止め地蔵-02-1200 咳止め地蔵-03-1200

 

それで、水を堰き止めていたから 『堰き止め地蔵』 そしてそれが 『咳止め地蔵』 になったのです。

この地蔵様の賽銭箱は、明治五年まで郵便ポストとして使われていたものです。

一度見て来られると面白いですよ。

 

「下有知の民話」池村兼武氏 著 より要約

 

2015年12月27日

下有知ふれあいのまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

下有知中学校第3学年 地域貢献活動提案会議

 

下有知中学校第3学年が地域貢献活動提案会議を開催しました

 

※ 下有知に於けるいろいろな行事に下有知中学校の生徒の皆さんにボランティアでの参加をお願いし、精力的に活動をして頂いています。

今回の地域貢献活動提案会議では、今度は下有知中学校第3学年の生徒の皆さんから各地域に適したボランティア活動をしたいとの申し出があり、下有知ふれあいまちづくり推進委員会の役員と共に活動計画を話し合いました。

 

各グループ構成

第1区では生徒8名と区長会長の高橋正次区長会長

第2区では生徒9名としもうちふれあいまちづくり協議会の武藤哲夫会長

第3・4区では生徒14名と下有知中学校の松田慎司育成協議会会長

第5・9区では生徒7名と下有知ふれあいセンターの平田幹司館長

第6・8区では生徒9名と自治連下有知支部の平田忠彦支部長

第7区では生徒11名と自治連下有知支部の加藤篤副支部長

第11区では生徒15名と下有知中学校の長澤禎敬PTA会長

 

今回の会議を基に2016年1月~2月に地域貢献活動を行います。

 

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※ 会議終了後に下有知中学校の3本柱の合唱が披露されました。

曲目は 1. 稀空(まれぞら) 2. Cantare(カンターレ)

 

※ 最後に下有知ふれあいまちづくり推進委員会の役員を代表して、武藤哲夫協議会会長と高橋正次区長会長がお話をしました。

 

 

2015年12月17日

下有知ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)


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