介護講習会を開催しました

2月28日(日)に下有知ふれあいセンターで『介護講習会』が開催されました

 

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関市中央第2地域包括支援センターより、2名の講師をお招きし、介護保険、認定の受け方、サービスの受け方などの講習を受けました

 

普段、疑問に思っていることなどを直接お聞きすることができ、有意義な講習会となりました

 

14名の方が参加され、希望者の血圧測定も行われました

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2016年2月28日

ふれあいのまちづくり推進委員会

事務局 湯口哲也

下有知2区野焼き

 

下有知地区2区が2月21日に野焼きを行いました

 

当初の予定は2月14日でしたが、当日は雨のためにこの日に延期となりました。

2区の100名ほどの住民方々が参加して作業をしていただきました。

前日は雨でしたが、この日は良いお天気でしかも風があり枯れ草も乾燥して、予定した作業が順調に行われてきれいになりました。

 

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下有知消防団の山王班の皆さんにも参加していただき安全に行うことができました。

2区の皆さん、下有知消防団の山王班の皆さん有難うございました。

 

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2016年2月21日

下有知役員ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

 

 

自治連下有知支部・ふれあいまちづくり推進協議会合同研修会

 

2016年2月20日に合同研修会が開催されました

 

1. 『近年の気象傾向と災害について』の講演を聴きました

講師:気象庁 岐阜地方気象台次長 林 久高氏

 

近年の異常気象が続く中で、災害に対する対処についての説明を受けました。

 

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平田自治連支部長挨拶                     『近年の気象傾向と災害について』の講演

 

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岐阜地方気象台次長 林 久高氏

 

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活発な質問がありました

 

 

2. 『下有知小学校大銀杏の取り扱いについて』の説明をして頂きました

説明者:下有知小学校 橋詰 勝司校長先生

 

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橋詰 勝司校長先生                          下有知小学校大銀杏の取り扱いについての説明

 

IMG_3246    大銀杏

質疑応答を受けました                     右に少し傾いている大銀杏

 

外観は元気そうに見られる樹齢約147年の大銀杏は、樹幹下部は腐朽が進み空洞が広がっていて、倒伏の可能性が高いとのグリーンドクターの診断結果がでています。

平成27年9月からの5ヶ月間にわたり、下有知小学校の橋詰勝司校長先生が、保護者・各種団体・地域住民に説明を繰り返し行い、皆さんの意見を求められてきました。

今日の合同研修会に於いても、参加者に説明をして頂き皆さんの意見をお聞きしました。

 

2016年2月20日

下有知ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

 

 

惟然坊 ( 竜泰寺 )

下有知風土記18

 

下有知 ( しもうち ) に伝わる昔話に 『 惟然坊(いねんぼう) 』 があります

 

皆さんは 『 古池や蛙飛びこむ水の音 』 という俳句を知っていますか。

この俳句は、松尾芭蕉という有名な人が作りました。

きっと、どこかで耳にした事があると思います。

この話は、松尾芭蕉の最後の門下 ( 先生について、教えを受ける事 ) となり、自分でも数多くのすぐれた句を作った人、広瀬惟然 (ひろせ いねん) のお話です。

 

広瀬惟然の本当の名前は、源之丞(げんのじょう) と言いました。また、俳句を作る時には 『 梅花(ばいか) 』 とか 『 鳥落人(ちょうらくにん) 』 とか 『 素牛(そぎゅう) 』 とも言っていました。

ある日、惟然は鳥が飛び立った時に、庭に咲いていた梅の花が散ったのを見て、

「 なんて人の世は、はかないんだろう 」 と思いました。

そして、奥さんも子ども達も家に残したまま、芭蕉の教えを受けようと、旅に出ていきました。

惟然は、芭蕉の最後の旅のお伴をして、芭蕉の臨終の地の大阪に行きました。

そして、その地で病気になった芭蕉の看病につとめ、遺言を書くお手伝いをしました。

そして、芭蕉の死後は、お葬式や十三回忌のお勤めをも果たしました。

 

img002-900jpg 竜泰寺

 

いっぽう、家に取り残された奥さんと子ども達は、父の惟然がいなくなってしまったので、とても淋しく、暮らしておりました。

特に、女の子の “とも” は、お父さんに会いたい、会いたいと思っていました。

そこで、あちらこちらお父さんをさがしまわり、やっと見つけることができました。

しかし惟然は、俳句を作りながら、あちこち旅をするのが一生の仕事だと思っているので、 “とも” が、

「 お父さん!お母さんやみんなも待っているから、一緒に家に帰ってよ 」 と言っても、帰ってくれませんでした。

 

そのかわり、お母さんにあてた手紙に俳句を書いて、 “とも” に持たせて家に帰したのです。

その後も、 “とも” は、父恋しさのあまり、二度、三度と惟然を捜して歩く生活を続けました。

けれども、月日がたつうちに “とも” は、お父さんを捜すのをあきらめて、髪をそって尼さん ( 女のお坊さん ) になりました。

そして、お父さんの顔をかいた絵を飾って毎日、毎日お勤めに励みました。

 

竜泰寺-16-2 竜泰寺 勅使門-01

 

惟然の男の子供も出家 ( お坊さんになること ) して、 「 玄仲(げんちゅう) 」 と名乗り、竜泰寺のお寺の人となりました。

そんな子ども達の様子を風の便りに聞いた惟然は関に帰り、少しの間、尼になった娘の “とも” と一緒に暮らしました。

しかし、旅の生活をすてきれず、また旅に出かけてしまいました。

そして、芭蕉の教えを守り、俳句を作って暮らす生活に戻りました。

 

竜泰寺 本堂-03 竜泰寺-07

 

惟然の作る俳句は、とてもひょうきんな感じのもので、作った句を念仏のように唱えながら日本のあちこちを旅したそうです。

そして、姫路で亡くなったとの事です。

 

☆水鳥や むかふ(う)岸へ つぅいつい

☆うめの花 赤いは(わ)赤いは(わ) 赤い花

☆水さっと 鳥よふは(わ)ふは(わ) ふうは(わ)ふは(わ)

 

※ この惟然と尼になった娘の “とも” が住んでいた所が、関善光寺の下の弁慶庵です。

※ 惟然の子孫と言われているのが富本町の三河屋酒店さんです。

 

「 下有知の民話 」 より要約 著者は判っていません

 

 

2016年2月3日

下有知ふれあいまちづくり推進委員会

委員長 高橋正次(下有知区長会長)

 

 


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